★ミュゼップサロンエッセイ「物の物語」★


ミュゼップサロンエッセイ 其の参
「理系女子の京大博物館探検・技術史編」 
~物の物語~

 


 京大博物館の常設展はホームページによると、自然史、文化史、技術史の三つから構成されているらしい。「らしい」と書いたのは、はて、技術史なんてあったっけ? と思ったからだ。
 もちろん行ってみたらちゃんとあった。二階の特別展と常設展をつないでいる休憩室・・・だと思っていたのが「技術史」コーナーだった。


 そこは中央にベンチがある小さな部屋で、壁の片方にレトロな機器が並ぶガラスケースがあり、反対側には体験用のハンドルがついた歯車の機械が並んでいる。しばらく観察していると、この部屋に入ってきた大人も子供も、ガラスケースをさっと眺めたあとは、ハンドルをぐるぐると回しはじめる。


横からのぞくと機械の仕組みが分かるようになっているのだが、そんなことには頓着せず、ただただ一心不乱に回し続ける。そして、六つほどあるハンドルをすべて回し終わったら、満足した顔で次の部屋に移っていく。ここが技術史のコーナーであったことに気がついたかどうかは謎である。

 わたしもとりあえず回してみながら(結構楽しい)、人はなぜハンドルがあると回したくなるのかと考えてみたが、本題から逸れてしまうのでほどほどに切り上げ、反対側の壁に向きあった。


ガラスに顔を貼りつけるようにして、機械を一つ一つ観察していく(凝った演出のせいで大変見づらい)。




これらは京大の前身のひとつである旧制三高時代に授業で使われていた教育用の理化学機器なのだそうだ
百年以上前の機械だ。

 木と金属が組み合わされたものが多い。ぼんやりとゆがむ透明度の低いガラスと、鈍い金色に光る真鍮の輝きは、うっとりするくらい美しい。部屋に飾りたい。

・・・という感想を持つくらいだから、お察しの通り、わたしは物理にも機械にも弱い。理系女子の看板を背負っておいて申し訳ないが(生物と化学は好きだ)、この機器を見て、科学の歴史に思いを馳せることはできない。
誰かこれを使って授業をして欲しい。


昔、研究道具の多くは京都の島津製作所によって作られていたそうだ。旧制三高の学者が昔の島津製作所に技術を求め、島津も三高に機器を提供することで発展した。ああ、この京都の地で、学者と技術者の二人三脚で近代理化学の基礎が築かれたのだ・・。
そんな背景を知って眺めると、なかなか感慨深い。きっと彼らの間にはがっちりとした信頼関係があったのだろう。そして強い信念も。
歴史というのは誰かの信念で作られるのかもしれない。


・・・と感動している間にも、子供たちがどやどやと部屋に入ってきて、ぐるぐるハンドルを回し始める。もうちょっと分かりやすくこの感動を子供たちに伝えられたらいいのだけれど、仕方がない。道具は無口だ。腕のいい技術者みたいに、多くを語らない。


 明治何年という説明書きを眺めているうちに、ふと頭の中にひらめいた情景があった。
 夏目漱石の小説『三四郎』の中に描写されていた野々宮さんの研究室だ。

九州から上京してきた三四郎が、知人の野々宮さんを訪ねて東大に行く。そのとき野々宮さんは、薄暗い地下の実験室で光線の圧力を測定している。そのときの何とも言えないあやしげな装置の描写と、この部屋に並ぶ機械のイメージとは見事に重なる。

 京大と東大で舞台は違っているが、同時代だ。野々宮さんもきっとこんな機械を使って科学を学んだに違いない。そう思った途端に、目の前の機器に命が宿った。眺めて愛でるだけだった骨董品が、使うための道具に変わった。『三四郎』の世界も急に色鮮やかになり、立体的になった気がした。

 目の前に実物があるというのに、わざわざフィクションを介して現実感を得るなんて妙だけど、物語がなければ、物はただの物である。
 物を発掘し、その物語を見つけ出して足りないところを補い、現れた物語を伝える役割が博物館なのだとしたら、何だかそれは小説家の仕事によく似ている、と思った。


(おわり) 




※寒竹泉美(かんちくいずみ) 小説家            
  九州大学理学部・京都大学医学部博士課程修了。


 「月野さんのギター」(講談社)        他       

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